初代ベルばらからのファンである私にとっては、かなりショッキングなニュースです。光原エミカなんてトップスターは聞いたことがない!と思ってたら、あの大滝子だったとは!
今の若いファンも同じような気持ちでしょうが、初代ベルばらでは、フェルゼンを演じ、素敵な男役だったんですよ?
元トップスターの輝かしい栄光とは裏腹の泥沼事件
以前、「大滝子」という芸名で活躍していた元宝塚の月組のスターは、1960年代から1970年代にかけてその名を馳せました。
「宝塚音楽学校を1963年にトップの成績で卒業後、小柄ながら男役スターとして認められ、1974年の『ベルサイユのばら』でフェルゼン役を演じたことで大きな評価を得ました。この作品はその後、何度も再演され、宝塚の中でも記録的な成功を収めました。
近年では、2015年にTBS系の番組『水曜日のダウンタウン』に出演し、特定の表現を使用する金持ちについての話題で注目されました」とスポーツ紙の記者は語っています。
宝塚退団後の1976年からは、女優や歌手としても活動を続けていましたが、1990年代には大きな問題が発生。1992年には東京の運送会社との間で1億3000万円を巡る訴訟に発展し、結果として敗訴しました。
ディナーショーは1978年からほぼ毎年開催
光原エミカは、音楽に対する情熱を失わず、1978年以降ほぼ毎年ディナーショーを実施し続けています。宝塚のファンによれば、そのイベントは常に温かく迎えられています。
「長年の宝塚ファンたちが集まり、そのコンサートは非常に心地よい雰囲気で進行。70代の光原エミカが放つ力強い歌声は観客を感動させ、時には涙を誘っていました。
主に帝国ホテルやヒルトン東京お台場など、高級ホテルでのディナーショーが開かれていました。以前はチケット一枚5万円でしたが、2022年には8万円に値上がりし、少々驚きを感じました。オンラインでの視聴も可能ですが、その価格は1万円と高めです。
それでも、光原エミカが行うチャリティへの取り組みにより、一部の収益が孤児支援に寄付されるという発表があるため、多くのファンが価格を受け入れています」と宝塚の長年のファンが述べています。
印象悪い宝塚!元トップの汚名でさらにイメージダウン
いじめ・パワハラで、25歳のタカラジェンヌの痛ましい事件があった直後、現役タカラジェンヌの不倫騒動があったりで、とことんに印象の悪い宝塚です。昔はこんなじゃなかったのになぁ。キラキラしてて、シミひとつない純白の世界だったのになぁ。
そのキラキラ時代を築いた元トップ・大滝子の今回の事件は、歴の長いファンをどれだけがっかりさせたか…。本人は、ファンからの援助との認識だったのでしょうかね〜。
ファンからの贈り物ってエスカレートしがちだし、過去にも1,000万程度の援助?なんてザラにあったのではないでしょうか。私が子どもの頃も、友達のお母さんがタカラジェンヌに多額の援助をしていて、とうとう離婚!なんて話も聞いたことありますしね。
いじめやパワハラと同時に、ファンからの贈り物も上限額を決めた方がいいのでは?
宝塚退団後の結婚!ファンの気持ちは冷める?ファンクラブはどうなるの?
光原エミカこと大滝子プロフィール
1963年に宝塚音楽学校を最優秀の成績で卒業した49期生の一人である。デビュー公演は星組の「花詩集 – 1963年」で、同期には榛名由梨や郷ちぐさがいた。
彼女の芸名「大滝子」は、日本バレエ界の著名人大滝愛子にちなんで名付けられた。1964年12月1日に雪組への配属を経て、後に月組に転属となった。
1971年にはNHK総合テレビの番組「天下御免」でテレビデビューを果たし、1973年には月組トップスターの古城都が退団した後、榛名由梨と共に新トップスターに昇格した。身長が低く華奢な体格のため、男役としての役作りには苦労があったと後に語っている。
1974年2月の「白い朝/ロマン・ロマンチック」でトップスターとしての披露公演を行い、同年9月の「秋扇抄/ベルサイユのばら」ではフェルゼン役を演じ、これが非常に好評を得て、宝塚歌劇団史上最大のヒット作となる「ベルばらブーム」を引き起こした。2014年には観客数500万人を突破した。
1975年1月の「春鶯囀/ラビング・ユー」では専科の春日野八千代が特別出演し、3月の「春の宝塚踊り/ラムール・ア・パリ」で主演を務めた。榛名が花組に移動後、月組の男役トップは彼女単独で担うこととなった。
1976年、フジテレビの「3時のあなた」で退団を公表し、5月14日から6月22日にかけて「スパーク&スパーク/長靴をはいた猫」で宝塚大劇場の舞台を最後に退団した。退団後はテレビドラマや映画に出演し、女優として活躍する一方で、ディナーショーなど音楽活動にも力を入れている。