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【1789 -バスティーユの恋人たち-】星組・有紗瞳さんと月組・愛希れいかさんのマリー・アントワネット比較

マリーアントワネット比較 宝塚歌劇団

1789のマリー・アントワネットは、登場してすぐに人物像の方向性が決まっていく役だと感じてます。

その観点からすると、星組の有紗瞳さんと月組の愛希れいかさんでは、幕が上がってマリーが初登場する瞬間からその印象が大きく違いました。

月組では娘役トップスターの愛希れいかさんがマリーを演じ、星組では研10の有紗瞳さんが挑戦していて、そもそものキャリアや立場の違いはありますが、だからこそ「あえて比べてみたい」と思いました。

ここからは、あくまで私個人の感想として読んでいただけたら嬉しいです。

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初登場シーンで見えた「マリー像」の違い

舞台において、最初の登場はその人物の設計図のようなものだと私は思っています。

特にマリー・アントワネットのように立場も感情も複雑な役は、初登場の数分間で観客の受け取り方が決まってしまうことも少なくありません。

2人のマリーはこの最初の瞬間から、まったく違う輪郭を見せていたので深掘りしてみます。

愛希れいかさんは“女王・妻・母”を一瞬で立ち上げる

マリー・アントワネットが初登場するのは、ギャンブルに興じているシーンです。

「私は一国の女王だから、勝っても負けても関係ない」という雰囲気で財力を見せつけつつ、ルイ16世や皇太子も絡んでくることで、ただの贅沢三昧の女王だけでは収まらない感じが、個人的には正解なのかな〜と思ってました。

その点では、愛希れいかさんは短い初登場シーンで、女としての表情、母としての表情、妻としての表情が自然に切り替わっていて、「このマリーなら、その後の展開も納得できる」と感じたんですよね。

このあたりは、さすが経験値の高さがものを言ってます。

初登場シーンのこの多面性が、後に描かれる恋人フェルゼンとの密会、ルイ16世の姿を見ているときの複雑な顔、皇太子の死に直面した嘆きなど、どの場面もすっと腹落ちするわけです。

真木麗華さんのマリーアントワネットは、フランスの王妃である前にひとりの人間としての説得力が強かったです。

有紗瞳さんは“無邪気さ”が前面に出るマリーだった

有紗瞳さんのマリーは私が注目していた初登場の場面では、気品というよりお茶目さ、無邪気さが強く感じられました。

母性よりもまだ裏若い乙女の印象が先に立ち、そこが少しもったいないと感じたんです。

特に皇太子が咳き込む場面での視線や距離感が、私にはどこか他人事のように見えてしまいました。

もちろん、これは演出や解釈の幅もありますし、星組ファンの方から評価が高いのも知っています。

ただ私は最後まで、有紗瞳さんのマリーに深く心を持っていかれる感覚にはなりませんでした。

愛希れいかマリーとの違いは、やはり多面性が表現できなかった点、これに尽きますね。

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恋愛中心の1789で差が出る「フェルゼンとの逢瀬」

『1789』のマリー・アントワネットは、政治よりも恋愛のドラマが強調される役どころです。

フェルゼンとの逢瀬は決して長くはありませんが、その数分のシーンに人物の本質が凝縮されています。

だからこそ、恋の描き方の違いが、そのままマリー像の違いとして浮かび上がってきます。

ここでは、二人のマリーがフェルゼンと向き合うときの空気感の違いを、私なりに追いかけてみます。

ちなみに、ロナンの描かれ方も組によって印象が大きく異なりました。ロナン比較はこちらの記事で詳しくまとめています。
「1789」ロナン比較!月組・龍真咲と星組・礼真琴ではこんなに違った

愛希れいかさんの恋は、母性と後ろめたさが同居して見えた

『1789』のマリーといえば、やはりフェルゼンとの恋愛が大きな軸です。逢瀬のシーン自体は短いのに、なぜか強烈に印象に残るのがこの作品の面白さだと思います。

愛希れいかさんは、初登場で母性を感じさせる土台ができているからか、フェルゼンに会う場面にも「後ろめたさ」が漂っているように見えました。

そもそも、会ってすぐにフェルゼンに近づくのではなく、「夫と子どもがいながら許されない恋をしている〜〜」みたいな歌につながるので、そこは演出のためかもしれませんね。

ただ、やはり愛希れいかマリーには、フェルゼンに一直線に走り寄れない雰囲気があって、そこがまた切なさが増長されていました。

有紗瞳さんの恋は、無邪気さが残って“ウキウキ”が勝って見えた

有紗瞳さんは、オープニングで感じた無邪気さがそのまま伸びていく印象があり、フェルゼンと会う場面でも「ウキウキ感」が消えきらないように見えました。

愛希れいかマリーとは違って、すぐに二人は近寄りキスをするので、まさに恋人同士って感じになっちゃうのは仕方ありません。

やっぱりここは演出かな〜。「遠方に行く」と先に告げて離れようとするフェルゼンの手をグイッと有紗瞳マリーがつかんじゃうところも、ちょっと重い女って感じが否めませんでした。

愛希れいかマリーとは違って、フェルゼンしか見えてない感じが、私の中ではマリーの背負うものの重さと少し噛み合わない感じが残ったんです。

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マリー・アントワネットは「解釈」で何通りにも変わる

歴史上の人物でありながら、実際の姿を私たちは直接知ることができません。

だからこそ、舞台上のマリー・アントワネットは演じ手の解釈によって何通りにも姿を変えます。

今回の比較を通して改めて感じたのは、正解はひとつではないということでした。

実際にマリー・アントワネットに会った人はいないので、私たちはそれぞれ「マリー像」を持っているはずです。

高飛車で傲慢、ゴージャスで贅沢。そういうイメージもあれば、家族愛のある情の深い女性だったのでは、という解釈もあります。

演じ手の解釈ひとつで、同じ役なのにまったく別の人物に見える…それが舞台の面白さであり、比較の楽しさでもあります。

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次にマリーを演じるのは誰?再演が待ち遠しい

今回は、月組の愛希れいかさんと星組の有紗瞳さんを比べてみました。

どちらが正しいという話ではなく、私はこう受け取ったという記録です。

次に『1789』が再演されるとき、マリー・アントワネットはどんな人物として立ち上がるのでしょう。

今から楽しみにしています。